哲学する猫

特に読む価値のない日々の出来事を書いています

ブログとTwitterについての雑感

人のブログを巡回していると、実に様々な内容・文体で書かれていることがわかる。それぞれの文章にその人らしさが出ていて、十人十色とはまさにこのことだと感じる。

 

中にはコメント欄で非難されている記事もあるが、概ね炎上というものは見られない。ある程度は会話が成り立っている印象だ。文章が長くなってもブログだから問題がないし、じっくり読んで返信出来るからなのだろうか(というか、どこでも炎上は起こりうるから、単にその場所がブログからユーザーの多いTwitterに移っただけか…)。

 

字数制限があると真意が伝わらないことが多々あるということは、先日の件で痛いほどわかった。

 

私はTwitterを自分の思考のメモ替わりにしようと思っていたが、そんなことはオフラインで日記などに書いておけば良いわけであって、しかもあとで読み返すこともなかった。この前過去のツイートを遡って読んだが、自分が書いた内容はほとんど忘れていた。

 

Twitterは思い付いたらすぐに投稿出来る気軽さがあるが、その気軽さゆえに読み手に誤解される原因にもなりうるのではないか。

 

あと私に関して言うと、Twitterを続けていると長い文章が書けなくなる。

 

また、何か事件や事故などが起こった際、まるで評論家の如く語りたくなってしまう精神状態に陥るのだ。これは恐ろしい。本物の専門家や評論家ならまだしも、たかが一市民が何を偉そうにわかった風に語ることが出来るのかと。自分で自分の文章を読み返していて不快になった。個人的な感想など身の丈に合った文章を書いたほうが気が楽だ。

 

情報リテラシーという言葉があるように、情報が溢れている社会で、その中から情報を取捨選択することは、今や現代人の必須の能力となっている。だから、入ってきた情報に対して批判的になることは重要ではあると思うし、それを否定はしない。

 

ただ、私個人としてはそういった批評めいたことをわざわざインターネット上に投稿することはしないかなと考えている。自分の心の中で批判し理解しておけば良いと思う。

 

Twitterを見なくなり、入ってくる情報は少なくなった。しかしその代わり、受け身ではなく自分から情報を得ようとするようになった。またブログを始めたことによって、投稿する内容を吟味するようになった。思考が整理されていく感じがする。

 

私には自分の文章をたくさんの人に読まれたいという願望があまりない。世界に発信してはいるが、少ない人数でも誰かが気に留めて読んでくれたら嬉しいと思うだけだ。