初めての学習センターと苦手な分野
今日は先日行けなかった学習センターに初めて行ってきた。学生証を貰うつもりだったのだが、入学前なので4月以降しか交付出来ないとのこと。その代わりに、3月末まで有効の利用証を貰った。
学習センターの様々な決まりに従って図書室に入り、今後履修しようかと考えている科目のテキストを読んだり、試験の過去問を閲覧したりして過ごした。
それなりに有意義な時間ではあった。しかし自宅から少し遠く、また放送授業自体はインターネットで視聴出来るし、過去問も4月以降は自宅で印刷出来るということを思うと、今後は試験の時や本を借りる時ぐらいしか行かないかなと思った。
ただ今回で行き方や場所はわかったので、試験の時に慌てることはないから、そういう意味では良かった。
学習センターを出た後、街中をブラブラし、喫茶店で英語の勉強をした。
今日は助動詞の章を学習した。自分がこんなにも助動詞が出来ないとは…。解説を読んで、一旦は納得するんだけど、いざ問題を解く段になると間違ってしまう。高校の文法書で繰り返し勉強するしかないと思った。
あと今回の章で知ったのは、2人称で助動詞を使う時は注意をしないといけないということ。"You may" や "You can" は上から目線な印象を相手に与えるので、むしろ命令形のほうが響きが柔らかな場合が多いとのことだ。
連日外出したので疲れた。明日からはしばらく家にいよう。
久しぶりに1人で出掛けた
所用にて役所に行ってきた。徒歩なので途中でしんどくなったが、無事に辿り着けた。帰りも歩いて帰ってきた。運動不足は多少解消出来たと思う。
これは笑い話にでもしてもらって構わないが、引きこもりにとって外出は一大イベントである。
家を出るまで、そして家を出てからも道の途中で引き返したい気持ちがわきあがる。そういう気持ちを何とか押しとどめて歩みを進める。
目的が達成された時、自分に少しだけ自信がつき、他のこともやってみようという意欲が出てくる。今日はそんな日だった。
やはり良い循環をもたらすには、嫌でも一歩踏み出して行動しないといけない。家で引きこもってばかりいると、余計に気持ちが落ち込んでいき、出来ない自分に目がいってしまう。
今日も英語の学習を進めることが出来た。今回の章は時制と節について。ようやくテキスト全体の半分を過ぎた。Exerciseの数が増えて、時間がかかってしまった。今回もいろいろ学びはあったが、疲れたので学習のまとめを書くのはやめておく。
どこからみるか
今日は気分の落ち込みで外に出掛ける気にならなかったため、学習センターには行かなかった。でも、英語の勉強は休まずに進めることが出来た。
完了形と受動態について学習した。テキストでは受動態から完了形へ自然な流れで説明されており、わかりやすかった。
今回印象に残ったのは、過去と完了の違いについての説明だった。
私は過去と完了形の違いが分かったようであまり分かっていなかった。
テキストでは
・現在完了と過去はそんなに違うものではない
・(文法が似ている)ドイツ語やフランス語でも単純過去という形があるが、英語の現在完了に相当する複合過去を使うのが普通
・日本語の過去形「た」も元々は完了の助動詞「たり」(「てあり」)が縮まったもの
・完了が過去に置き換わるのは自然なことだから、現在完了か過去形にすべきかであまり神経質にならなくても良い
と説明されており、さらに
・現在完了形:現在の視点で過去を見通す(経験)
・過去形:物語る視点(小説)-現在とは別の時間枠
といった内容のことが書いてあった。
英文を書く時、あまり考え過ぎなくても良いのかなぁと思ったら、少し気が楽になった。大学の先生が言ってることだしね。
やはり語学に限らず、学問というのは小手先だけのテクニックを習得しても、深い理解には繋がらないということを再認識している。その点、このテキストには語源や文法が発展してきた歴史から説明されているので、単純な暗記にならず理解出来るように思う。
体調を崩したり、気分の変調を来したりしている毎日ではあるが、何とか第15回までやり遂げたい。
3分の1
大学の英語のテキストを5章まで学習し終えた。全体の3分の1だ。毎日続けたら今月中には余裕で終わるペース。
今日の章はbe動詞についてだった(余談だが、このテキストでは"BE"動詞と表記されている。たぶん何かしらの意図があるのだろうが、今のところその説明はされていない)。
ネクサスという言葉自体は初めて耳にしたが、説明を読むと既に知っていることだった。こういうあたりの説明が高校までの英語とは違うと感じた。
Exerciseを解いていて思うのは、まだ自分は日本語を英語に直している感じになっているということ。英語の発想を身に付けたい。
ところで、各章にはコラムがあるのだが、英語を学問的に学んでいる感覚があり、学習意欲を掻き立てられる。
今回はテキストの「はじめに」のところで書かれていたことが再度強調されていた。つまり、意識するにせよ無意識にせよ、文法(SVXの構造)という規則を逃れて英語を処理することは出来ないということだった。これって、たぶんこの講師が一番声を大にして言いたいことなんだろうな。巷に溢れている一般人向けの英語教育へ警鐘を鳴らしているように思えた。
今日はここまで。